King Gnu『壇上』。
『白日』『飛行艇』『Teenager Forever』『どろん』…平成の終わりと令和の幕開けの音楽界を席巻した楽曲の数々を収録したアルバム『CEREMONY』は、そんな栄華からは遠く離れた哀愁漂うバラードで幕を閉じてゆく。
この記事では、セレモニーの最終章『壇上』についてその存在の意味を語り尽くしたい。拙い文章ではあるが、最後までお読みいただけると幸いである。敬称略。
最終幕『壇上』の存在
曲を聴いていただければ明らかなのだが、この曲は『Teenager Forever』や『飛行艇』といったセレモニーの流れからすれば随分と異質な存在である。
本当に泣きたい時に限って
誰も気づいちゃくれないよな
人知れず涙を流す日もある
壇上 作詞 常田大希
『Teenager Forever』のような溢れんばかりの活力はもう漲っていない。『飛行艇』のような雄弁さもない。『ユーモア』のように孤独を分け合うこともしない。誰しもが抱える心の闇を歌った曲ではない。全ての人の心を共鳴させるような、透き通った井口理の歌声もない。
これはセレモニーの最終幕、常田大輝、たった1人の男のバラードだ。ポップミュージックとはかけ離れた心境吐露。いつかKing Gnu が解散したその時を想って歌った曲だと常田は語っていた。紅白も決まったし、もう十分だろう。そんな想いが楽曲製作の根底にはあったという。
何も知らなかった自分を
羨ましく思うかい?
君を失望させてまで
欲しがったのは何故
何もかもを手に入れた
つもりでいたけど
もう十分でしょう
もう終わりにしよう
壇上 作詞 常田大希
『白日』の爆発的なヒットに始まった、King Gnuの大旋風。いまや彼らの音楽を知らぬものはいない。1年前にはとても想像できなかったほど、彼らはポップな存在へと昇華していった。
あっという間に巨大なヌーの大群を築き上げ、時に聴く者全てに生きるエネルギーを与え、時に誰しもが抱える不安を代弁し、時に愛を歌い、時に日本全土を突き動かすような天変地異を巻き起こした偉大なセレモニー。
しかしその大群の先頭に立ち続けたカリスマも、やはり一人の人間だったのだ。
希望の唄を歌いながらも、人知れず苦しみ涙を流す。
叶いやしない
願いばかりが積もっていく
大人になったんだな
ピアノの音でさえ胸に染みるぜ(中略)
本当に泣きたい時に限って
誰も気づいちゃくれないよな
人知れず涙を流す日もある
壇上 作詞 常田大希
紅白のあのステージで高らかに音色を響かせたミュージシャンであろうと、今はピアノの音さえも身に染みる。
ちっぽけな夢に囚われたままで、もう売り払う魂も残っちゃいない。
もう十分でしょう もう終わりにしよう
(中略)
最終列車はもう行ってしまったけれど
この真夜中を一緒に歩いてくれるかい?
何時間かかってもいいんだ
ゆっくりでいい
この足跡を辿って
確かな足取りで帰ろうよ
壇上 作詞 常田大希
もう十分でしょう。随分と遠いところに来てしまったけど、ゆっくりでいい。確かな足取りで君の元に帰ろう。
この曲なしに、このセレモニーは終わりを迎えることなどできない。血の通わないミュージシャンの叫びは心に響かない。人間なら、表があれば裏がある。光があれば影がある。栄華があれば滅亡がある。始まった物語はいつか必ず終わりを迎える。
これは壮大で華やかで現実離れしたとあるセレモニーを、一人の人間へ、一つのロックバンドへと帰着させる最後の歌。始まった栄華に終焉を告げる歌。巨大な群れを率いた偉大な王に、人間の血を通わせる歌なのだ。
ただかっこよくて、カリスマチックで、ポピュラーで、煌びやかなだけがKing Gnuでは決してない。私たちと同じように日々不安を抱え、孤独におびえ、自らの身の丈を知る。人知れず涙を流し、帰る場所を必死に求めている。人間・常田大輝、井口理、新井和樹、勢喜遊のロックバンド・King Gnu。日本中を巻き込んだ彼らの盛大なセレモニーは、ここにひとつの終焉を迎えるのである。
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