どうも私です。
私は音楽の歌詞をめちゃくちゃ気にするタイプでして、普段から歌詞考察記事をたくさん書いているのですが、なかなか万人受けするものではないことも事実。
「音楽聴いてるんだから歌詞なんかどうだっていい」って人も結構いるし、「何歌ってるのか細かく意識して聴くなんて煩わしい」って人もきっとたくさんいます。
でもせっかく歌詞があるんだから、もうちょっと多くの人に歌詞に注目して曲を聴いてほしい…
そんなことを思ったので、今回は歌詞の考察記事を累計170記事投稿してきた私が個人的な視点で、好きなアーティストの歌詞の魅力をご紹介。
【あの人の歌詞は実は全部歌ってること一緒】
【こうやって聴くとこの人の歌詞は面白い】
みたいな感じで、アーティストごとの歌詞の特徴や魅力、解釈のポイントなどを簡単に紹介していきます。
ちょっとでも歌詞に興味を持つきっかけになれば幸いです!
アーティスト別解説
King Gnu
King Gnuの曲は小難しい単語が並んでたりして身構えてしまいがちですが、歌われている内容は実はほぼ全曲同じです。
それが【現実は残酷だけど強く生きよう】というメッセージ。
常田さんは基本的にこれしか書きません。
テイストが違ったり、【現実は残酷】部分の比重が大きかったりと細かな違いはありますが、『Teenager Forever』も『飛行艇』も『三文小説』も全部同じ。
実際に歌詞を見ていくと
「つまらない中にどこまでも幸せを探すよ」
「無意味な旅を続けようか」
「過ちだと分かっていても尚 描き続けたい物語があるよ」
「現実は残酷だもの 酔いどれ踊れ」
「やるせないね それでも主役は誰だ?お前だろ」
「耳塞いで、目を瞑ったなら突っ走れよ混沌的東京」
「激動時の坩堝へ飛び込んでいくだけさ」
など、《無意味で残酷な世の中だけど突っ走ろうぜ》的なことを歌った歌詞を探せば無限に見つかります。だってそれしか歌ってないから。
その意味で歌ってる内容は超シンプルだけれども、それを死ぬほどカッコよく歌うからKing Gnuはカリスマ的に人気なんだと思います。
ストレートしか投げれないけど170km投げて三振バンバンとってるみたいな。そんな感じ。
たまに例外もあって、例えば「白日」は【現実は残酷から今日だけは忘れさせて】って歌ってたりします。
RADWIMPS
RADWIMPSというバンド名の意味は「カッコいい弱虫」「見事な意気地なし」。
全曲そうってわけじゃないけども、多くの楽曲の根底にあるのは「愚かで意気地なしだけど、人間って最高だよね」的なスタンスであるような気がします。
カラスが増えたら殺すのに、人類は増えても殺さない。
好き勝手地球荒らしてるのに、散々駄々こねくり回してる。
2000年間進展なし。死なない程度に賢くて生き延びれぬ程度に馬鹿。
野田洋次郎哲学では、人間はめちゃめちゃ愚かな存在です。
でもだからこそ人間って愛しいよね、と彼は歌にします。
「君が火星人でもたかが隣の星だろ?一生で一度のワープをここで使うよ」とか言ってみたり、「60億個のほんのちょっとの愛と平和とその優しさで どれだけキレイな世界になるか俺は見てみたいの」とか言ったり、「僕が総理大臣になったら君の誕生日を祝日にしよう」って宣言したり。
未だに目に見えない希望にすがりついて、現実から目を背けて、愛を歌って。
めっちゃ馬鹿だけど、どこか憎めない。
そんな人間の姿を彼らは歌います。
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたかなぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい答えてよ
愛にできることはまだあるかい
「カッコいい弱虫」「見事な意気地なし」。
歌詞のスケールが基本的にでかくて、ちょっと俯瞰で自分たちを描いてるのも大きな特徴かもしれません。
やべえRAD語りすぎた。
川谷絵音(ゲス乙女)
音楽の天才と呼ばれる彼ですが、なんだかんだ歌詞も超器用で何でも書けます。
ゲスの極み乙女。では割と現代の冷たいネット社会を嘆いて「ハートフルな傷のつけ合いが圧倒的に足りてない」的なことを歌うことが多め。
ただ恋多き男ということで失恋ソングを書かせても一級品で、【女より女心が分かる男】 と評されることも。indigo la Endという失恋ソングしか歌わないバンドも掛け持ちしています。失恋した時にぜひ。
余談になりますが音楽的な特徴として、川谷さんの楽曲はパッチワークのように曲調の異なるパートが組み合わされて構成されているといわれています。
これが邦楽界にとって衝撃的な発明だったらしく、音楽のプロたち曰く日本の音楽シーンは川谷以前 / 川谷以後に分けられるとのこと。
現在の邦楽界を席巻しているミュージシャンにはこの影響を受けているアーティストも多く、ずっと真夜中でいいのに。やYOASOBIなんかは特に【川谷以後のアーティスト】であると言われています。
不祥事があろうとテレビ番組に呼ばれるのにはちゃんと理由があるわけです。
SEKAI NO OWARI
ファンタジーな世界観の楽曲で一世を風靡したセカオワですが、Fukaseさんが壮絶な人生を歩んできたこともあり、実は歌っている内容は闇が深めだったりします。
朝が無ければ夜もない。悪が無ければ正義もない。死が無ければ命は輝かない。
そんな表裏一体の世界観・死生観を常に持っているので、楽し気なラブソングでもふいに死が顔をのぞかせます。最近の曲はそうでもないけれど。
あと面白いことに、セカオワのラブソングはほぼ彼女が普通の人間ではないことでおなじみです。
最新型ロボット、眠り姫、雪の妖精、人魚、かぐや姫、etc...
そしてラブソングといいつつ歌ってるテーマは「生と死」です。
「炎と森のカーニバル」は珍しく人間と人間の恋ですが、彼女のモチーフは当時Fukaseさんと付き合っていたきゃりーぱみゅぱみゅ。
「魔法使いは僕に行ったんだ この恋は秘密にしておくんだよ さもなければこの子の命が危ないぞ」。
要はマネージャーに公言するなよと釘を刺されています。
いやそれ歌にしちゃだめやん。
BUMP OF CHICKEN
藤原さんがただの天才です。
文才ありすぎ。
難しい言葉なんか全く使わないのに、簡単な言葉の組み合わせ方が凄すぎます。
以上。
YOASOBI
「小説を音楽にする」ユニット、YOASOBI。
その肩書の通り、彼らの楽曲の歌詞は全て何らかの小説を元にしています。
「夜に駆ける」の場合『タナトスの誘惑』。
小説という圧倒的な情報量を持った物語がベースとしてあるので、歌詞で必要以上に状況を説明することなく、余白を残したままで歌にできるわけですね。
逆に言えば曲を聴いた後小説を読むと、歌詞の余白が小説の内容によって綺麗に補完されて全ての意味が分かります。「夜に駆ける」は心中してます。
言ってしまえば歌詞はただの小説の要約なので「それありなん?」って気がしないでもないですが、多分その小説の切り取り方が恐ろしく上手い。
映画や漫画のタイアップも同じ方法論で完璧にこなせるので、今年はYOASOBIタイアップ祭りになる可能性もあります。
ヨルシカ
YOASOBIと名前を混同されがちなヨルシカですが、楽曲の制作プロセスもYOASOBIと共通しています。
彼らの楽曲も基本的に何らかの物語がベースにあり、その物語の劇中歌のような形で楽曲群が形成されています。
例えばアルバム『盗作』は全14曲ありますが、全て一つの物語に沿って歌われている楽曲。
YOASOBIと違うのは【1物語あたり1曲】ではなく【1物語あたり10曲以上】である点と、元となっているストーリーもヨルシカ自身が考えている点ですね。
だから実はヨルシカの楽曲は、そもそも一曲だけで内容を完璧に理解しようとする方が無理があります。なんなら全曲聴いても厳しいです。小説読まないと完結しません。
歌詞考察者泣かせのアーティストです…
歌詞の大きな特徴は、基本的に外来語が少なく【純日本文学】って感じの表現になっているところ。
いつの時代の俳人だよってくらい巧みな表現で情景を描いていて、めちゃくちゃ歌詞が美しいです。
あと作詞のn-bunaさんが《思い出が一番美しい》みたいな考えを持っている方なので、隙あらば「思い出って美しいよね」って歌ってます。
ずっと真夜中でいいのに。
YOASOBI , ヨルシカと来ればずとまよも語らないわけにはいきません。
【夜三部作】なんて評される3組のアーティストですが、ずとまよは別に小説を元に作詞してません。あとずとまよだけ基本的に1人(ACAねさん)です。
ずとまよの歌詞の特徴は、一字一句歌詞を読んでいっても何を歌ってるのか全然分からないところ。
歌詞全体にモザイクがかかっている感じで、よくわからないのです。
でも不思議なことに、一歩ひいて全体を見ると鮮明に見えたりします。ACAねマジック。
個人的な見解ですが、例えばACAねさんが考えてる内容が x だとすれば、ACAねさんの独特な言語フィルターによってf(x) に変換されたものが歌詞になっているのだと思います。
私たちはその f という関数を知らないので、元の x が何だったのかはわからないわけです。
昔ACAねさんがTwitterで「言ったことが全てになってしまうから 擬音語に支えられてます」なんてことを呟いていたことがありました。
何か伝えたいことがあったとして、それを直接的に言葉にするのは嫌だから、擬音語に変換してみたりふわっとした表現に昇華させてみたり。
たまにするラップも奇妙で軽快。
歌っている内容自体は自己完結で内省的。
ACAねさんが心の中で思い描いていることだけで曲が構成されているので、外の世界の話はほとんど出てきません。
独特な表現が癖になるアーティストです。
米津玄師
制作時期ごとに楽曲の毛色が異なっている米津さんの楽曲。
ハチ名義時代の名残を残す、薄暗い雰囲気の2012年発売のアルバム「diorama」に始まり、2014年には退廃的で享楽的な中にも希望が見えるアルバム「YANKEE」をリリース。
その後「Bremen」、ヒット曲だらけの「BOOTLEG」、最新アルバム「STRAY SHEEP」とアルバムを重ねるにつれ、歌詞がだんだん明るくなっている印象を受けます。
「馬と鹿」辺りを境に、「愛」というテーマについても積極的に歌うようになったようにも。
今後どんな変化を遂げていくのか、大注目です。
余談ですが、楽曲「砂の惑星(+初音ミク)」は米津さんとボーカロイド界隈の関係性を歌った楽曲で、歌詞は米津さんのボカロとの決別を示している、とする説があります。
それを念頭に曲を聴いてみるとそうにしか聞こえません。
秋元康
ここで秋元康入れる?って話ですが、美空ひばりの「川の流れのように」に始まり、AKB、乃木坂に至るまで、30年以上日本のヒットチューンの作詞を担ってきた経歴は尋常ではありません。
秋元さんの詞の特徴は、秋元さんが何処にもいない事。
「川の流れのように」書いた人が「恋するフォーチュンクッキー」書いてるなんて信じられます?
まして60過ぎたおじさんが「ヘビーローテーション」とか「インフルエンサー」とか書いてるのやばいでしょ。
本当の秋元康が何処にいるのか分からないくらい、どんな歌詞でも書いてしまうのが彼のやばさです。
流石に年間何十曲作詞してるんだよって話だし影武者説もありますが、色んなとこで作詞についてのエピソード耳にしたり、ちょいちょい別の曲で似たようなこと歌ってたりして手癖が見えるのでひょっとしたら本当に一人なのかもしれません。怖い。
最近だとAKB系列、坂道系列の中でも特に欅坂46(現 櫻坂46)に良い曲が偏っていることで知られているので、欅坂の世界観が秋元さんの本心に一番近いのかも。
Creepy Nuts
Creepy Nutsというかヒップホップ全体に言えることなのですが、日本では比較的アンダーグラウンドな文化として他の文化と混じり合わずに発展してきた節があるので、ガラパゴス諸島の生物みたいに独自の進化を遂げている感じがします。
ここまで挙げてきたアーティストの曲じゃまずありえないくらい、尋常じゃない量の韻を踏んだりお洒落に言葉をかけ合わせたり粋な言葉遊びをしてみたり。
真の意味で、言葉のプロフェッショナル。
【時代が違えば杜甫・李白・R指定】なんて評されることも。
他じゃ得られない快感で、一度ハマったら終わりの底なし沼です。
ヒップホップのゲートドラッグ。
おわりに
気付けば5700字も書いてました。原稿用紙14枚分。草。
私はもはや職業病で、歌詞が気になって普通に曲を聴けない段階まで来てしまっていますが、そうでない皆さんが歌詞に興味を持つきっかけになれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました…!