まふまふ『それを愛と呼ぶだけ』。
NTTドコモのWeb動画「カンナとミナミの卒業」篇のために書き下ろされた新曲は、儚くも美しい、最高に”エモい”楽曲でした。
卒業をイメージしたムービーにマッチしたまふまふさんの楽曲と歌声。必見です。
ここではそんな新曲『それを愛と呼ぶだけ』の歌詞の意味を考察していきます!
歌詞解釈
1番
貴方の言葉が 貴方の記憶が
わずかな世界を満たして
映画の終わりに数分あるような
心地よい今日だ
それを愛と呼ぶだけ 作詞 まふまふ
貴方の存在が世界を満たしてくれているかのような、心地よい今日という一日。
「映画の終わりに数分あるような」なんて比喩、とても素敵ですね…
映画のように悲しんだり、喜んだりした数多のストーリーを経て、充実感や感動、幸せに満たされる美しい時間。と同時に、物語が終わってしまうもの寂しさを感じずにはいられない時間。
卒業式の日の朝の教室のような空気観がここで表現されています。何かがこれから終わってしまうことがそれとなく感じられるような。
手に取る運命は 手放す運命が
増えていくだけ
そんな小さな綻びに 気づいていたのに
それを愛と呼ぶだけ 作詞 まふまふ
新しな運命を手に取ることは、いつか手放す運命が増えてしまうことを意味しています。
学校へ入学して新たな仲間と出会ったならば、いずれ別れの時が訪れる。新たに恋が始まれば、必ずいつかその恋を手放すときが来る。
「そんな小さな綻びに 気づいていたのに」。
それでも私たちは、新たに運命を手に取ることをやめようとはしません。
心が身体を見落とすまで
明日のない世界へ行くまで
失うひとつを数えること
それを愛と呼ぶだけ
愛と呼ぶだけ
それを愛と呼ぶだけ 作詞 まふまふ
心が身体を見落とすとき。それは人間の”死”を意味します。
明日のない世界へ行くとき。それは高校生にとっては卒業かもしれないし、他の誰かにとっては”死”かもしれません。とにかく、終わりを迎えるその時まで。
「失うひとつを数えること」。私たちは新たな運命を受け入れる。つまりいつか失う運命を一つずつ増やしていくのです。新たに誰かと出会い、大切なモノを増やし続けるのです。
「小さな綻びに 気づいていたのに 」。
私たちにできることは、そんなむなしい営みを「愛」と呼ぶことだけ。いつか終わる定めには逆らえず、ただそんな営みを「愛」と呼んで愛おしむことだけです。
どこまでも無力で儚い人間の営み。なんだかとっても感慨深い…
2番
貴方の笑顔も瞬きひとつで
見えなくなるくらい未熟だ
それならもとより愛しい仕草を
知らないままがいいなあ
それを愛と呼ぶだけ 作詞 まふまふ
ほんの瞬きひとつで、ほんとうに些細なことで、貴方の笑顔を見失ってしまうような未熟な自分。ましてずっと貴方の笑顔を守り続けることなんてできません。
いつか失ってしまうくらいなら、最初からそんな愛しい仕草なんて知らないままがいいなあ。知らないままであったなら、失う悲しみも小さなものになったのに。
なのに、貴方のすべてを追い求めてしまう。そんな様子が次の歌詞で描写されています。
過ぎ去る生涯を 変わらぬ後悔を
命というから
どうしようもないほどに
貴方に惹かれているのだろう
それを愛と呼ぶだけ 作詞 まふまふ
戻ることなどできず、ただ過ぎ去っていく生涯。一度過ちを犯してしまえば、一生変わることのない後悔。私たちはそんな儚い命を生きています。
だからこそ、どうしようもなく貴方に惹かれていくのです。いつかは終わってしまうから。永遠なんてないから。後悔したって過去は変えられないから。いつ消えてしまうかもわからない、目の前の”貴方”という儚い運命を必死に追い求めてしまうのです。
この手を伸ばせど届かぬ向こう
夢を見るより遠くまで
去り行く貴方を求めたこと
それを愛と呼ぶだけ
愛と呼ぶだけ
それを愛と呼ぶだけ 作詞 まふまふ
失くしてしまうとわかっていても、ずっとずっと遠くまで、届くことのない遥か彼方まで、去り行く貴方を求め続ける。間違いなく終わりの時へ近づいていく貴方に惹かれ続ける。
そして私たちにできることは、そんな愚かで、儚くて、だけど美しい人間の営みを「愛」と呼ぶことだけののです。いつか終わってしまう何かを必死に求めてゆく。この営みこそが「愛」なのです。
残酷で、綺麗で、どこまでもエモーショナル。素敵すぎる歌詞です…
まとめ
いつか消えゆくと分かりきっている何かを、必死に求めること。それを愛と呼ぶだけ。
気づいていても、私たちにできるのは愛と呼ぶことだけです。始まったものはいつかは終わります。その運命から逃れることなんてできないのです。
人間の営みの儚さ、愚かさ、美しさ。
終わるとわかっているものを追いかける人間の惨めさと愛おしさ。全てが詰まったエモーショナルな一曲でした…!
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