やせっぽち寄稿文

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【コラム】紅白・Mステで衝撃を与えた平手友梨奈という少女について語りたい。

2019年12月末、一人の少女が圧巻のパフォーマンスを披露した。

その少女の名は平手友梨奈(敬称略)。高校3年生、18歳にして欅坂46不動のセンター。

同日放送のMUSIC STATIONにおいて彼女は、欅坂46として『黒い羊』を、平手友梨奈名義で『角を曲がる』を、そして大晦日の紅白歌合戦では『不協和音』を披露。その鬼気迫るパフォーマンスはたちまち話題を集め、SNS上では「衝撃のステージ」「一番感動した」などの反響が殺到した。

ここでは、そんな彼女の凄さを1ブロガーとして熱く語らせていただきたい。

「彼女の魅力はそこじゃない」「そんなの過大評価だ」などの意見を持たれるのは重々承知であるが、一つの意見として聴き入れていただければ幸いである。

 

 

 

Mステでのパフォーマンス

1曲目、『黒い羊』は誰もいない幕張メッセの特設会場でパフォーマンスを披露。MVをそのまま再現したような演出・世界観で見るものに強い衝撃を与えた。


欅坂46より 黒い羊

『黒い羊』での平手友梨奈は、それぞれが何らかの問題を抱える他のメンバーを抱きしめる存在であった。誰もが社会に馴染めないことに苦しみ、必死に自分を押し殺して、大衆に紛れようとする。そんなメンバーたちを彼女はありのまま受け入れるのだ。「白い羊のふりをする必要なんてない。他人と違ってもそれでいいんだよ」と。

それでも自分らしさを殺そうとする人々からどれだけ拒絶され、指を指して非難され、時に強く投げ飛ばされようとも彼女は抱きしめることをやめない。自らがボロボロになろうとも、地べたを這いつくばってでも全てを許容し続けるのだ。そして最後には小林由依と激しくぶつかり合い、ついにはお互いが強く抱きしめあう。

平手友梨奈は何物にも屈することのない、まさに『黒い羊』の象徴であった。

 

 

その数時間後に披露された平手友梨奈ソロ曲、『角を曲がる』では彼女は全く違う表情を見せた。


欅坂46より 『角を曲がる』

『角を曲がる』での平手友梨奈は生き方に思い悩む一人の少女だ。弱くて、儚くて、今にも壊れてしまいそうな少女。『黒い羊』で他人を受け入れ続けたのとは打って変わって、誰にも見向きもされない世の中に絶望し、たったひとり涙を流す。だけど、その目の奥には絶対に自分を貫くという意志が宿っている。

「彼女以外がこの曲を歌うなどありえない」と言っても過言ではないほど、この曲では等身大の彼女がそこに立って歌っている。

平手友梨奈こそがこの曲の主人公なのではないか、と本気で心から思う。

 

紅白歌合戦でのパフォーマンス

『不協和音』での平手友理奈は、まるで鬼が取り憑いたかのように、全身に狂気を纏わせていた。彼女は「僕は嫌だ」というフレーズの、「僕」そのものだった。


欅坂46より 『不協和音』

何があっても絶対に意思を曲げない。不協和音を僕は恐れたりしない。そう叫ぶ彼女は睨みつけるような眼差しで、力強く何かを訴えていた。

「僕は嫌だ」と叫ぶ声は頼りないものだった。社会との摩擦で傷つき、苦しみ、今にも泣き出しそうな叫び声。

だがその後の表情は、針が振り切れたかのように狂気的だった。不敵な笑みを浮かべながら、鬼のような眼差しでカメラを睨みつける。「支配したいなら僕を倒してから行けよ」。やれるもんならやってみろ。まるで不協和音を恐れ大衆に流される人々を嘲笑うかのような表情だった。

まさに満身創痍。放送には載らなかったものの、パフォーマンス披露後には再び倒れ込んでしまった。

そこには見るものを惹きつけ震え上がらせる、覇気を纏った少女がいた。

 

表現者・平手友梨奈の凄さ

曲の”主人公”になる天才

ここからは彼女のパフォーマンスの凄さを語らせていただく。

平手友梨奈の一番の凄さは、彼女が歌う楽曲の主人公が「平手友梨奈」になってしまうところだと思う。「単に曲の内容が彼女の内面によっている」という要因は勿論あるが、私はそれ以上に彼女の表現力がそう感じさせているような気がするのだ。

例えば、Mステで披露された2曲を思い浮かべてみよう。

 『黒い羊』の歌詞における一人称「僕」という言葉で、真っ先に思い浮かべるのは一体誰だろうか。私にはどうやったって、平手友梨奈以外の誰かを思い浮かべることができない。”平手友梨奈”という媒体を経由せずにこの曲の内容を受け入れられないのである。きっと多くの人がそうだろう。何があろうと黒い羊であり続け、他のメンバーを抱きしめ許容する。黒い羊のシンボルは紛れもない平手友梨奈である。

では『角を曲がる』がどうなのか、という話になるが、先ほども述べた通り、私にはこの曲の主人公も彼女自身であるとしか思えない。別に「彼女に注目しているからそう見えているだけ」とか「アイドルに対する贔屓目」とかでは決してなくて、彼女の表情・仕草・ダンスを見ていると自然とそう見えてしまうのである。私は自分の話としてではなく、平手友梨奈の話として楽曲を聴いてしまう。それはちょうど、彼女が主人公の小説を読んでいるのと同じ感覚である。

 

それは他の楽曲でも同様だ。もちろん紅白の「不協和音」だってそうだった。

しかしそれらすべての楽曲の主人公は全く同じ人物なのか

全く同じ感情で、全く同じことを歌っているのか?

 

そんなはずはない、と私は思う。

多少似た内容に思える『黒い羊』と『角を曲がる』でも全く同じ感情ではない。まして他のアップテンポの曲や恋愛を歌った曲で同じであろうはずがない。『不協和音』の「僕」ももちろん全くの別人だ。

楽曲ごとに、彼女は異なる主人公になり切っているのだ。置かれた境遇も、その時の感情も、何もかもが違う誰かを毎回演じ切っているのである。

そしてこれは私個人の経験談でしかないが、他のアーティストでこの感覚に陥ることがあまりないのだ。ある曲の主人公は私自身だし、ある曲の主人公は気の強い女性だ。それは曲を歌っているアーティスト自身ではない。

”曲の主人公になる” という点において、彼女はとてつもない能力を有しているのではないだろうか。

 

見出しにて”曲の主人公になる天才”と記したが、これはひとえに才能によるものではなく、彼女の並々ならぬ努力の賜物である、という点はご留意いただきたい。

 

何かが憑依したような表現力

”楽曲の主人公になれる” と先ほど述べたが、その理由を紐解いていくと彼女の卓越した表現力にたどり着く。彼女はまるで何かが乗り移ったかのように、まさしく”憑依”したようにパフォーマンスを行うのだ。

私は平手友梨奈という人物の内面をすべて知っているわけではないので断言はできないが、おおむね欅坂46の楽曲は平手友梨奈の考え方に近いものがある。

大人嫌いで慣習を好ましく思わない。偉い大人にも臆せず噛みつく。そんな人柄だ。

しかし、楽曲に登場する主人公はそれらの特徴を誇張したものであって、平手友梨奈という人間そのものではないはずである。

実際、彼女はラジオ番組などでは非常ににこやかであるし、子供みたいなリアクションだってとる。犬の画像をみればデレデレしているし、なんなら犬の鳴きマネだってする。パフォーマンス中を除いてしまえば、彼女はいたって普通の18歳の女子高生なのである。

だがいざ曲がかかると彼女は全くの別人だ。もうそこには犬にデレていた平手友梨奈は存在しない。鬼気迫る表情で何かを訴え、時に涙ぐみ、時に狂気を帯びた笑顔を見せる。まるで常日頃から楽曲の世界にいるかのようにその人物を演じ切るのだ。

そしてパフォーマンス後は人一倍疲労しているようにも見える。2017年紅白では『不協和音』を2回披露したのちに過呼吸で倒れてしまった。2019年の紅白も満身創痍。また、パフォーマンス前後の彼女は言い方は悪くなるがかなり不愛想である。

これは完全な私の主観だが、きっと彼女は表現だけで誰かを演じるタイプではないのだ。楽曲の世界観を自分に完全に落とし込まないとパフォーマンスできない。だからこそ、誰よりも鬼気迫るパフォーマンスができるのだ。その代償として人一倍疲弊しているのではないだろうか。

彼女曰く、パフォーマンス中の記憶がないことがよくあるらしい。それはもはや”憑依”である。彼女の楽曲の主人公を自らを”憑依”させる力こそが、多くの人々を引き付けているのだ。『不協和音』のパフォーマンスで不敵に笑っていたのは平手友梨奈ではなく、まさしく楽曲の中の「僕」なのである。

楽曲の主人公(が憑依した平手友梨奈)が一体どんな表情を見せるのか気になって仕方がないから、私は欅坂46のパフォーマンスから目が離せないのである。

 

まとめ

Mステ・紅白で圧巻のパフォーマンスを披露した平手友梨奈。

楽曲の世界観に入り込み、主人公そのものになり切れる彼女の能力は並々のものではないだろう。彼女の健康を祈るとともに、今後のパフォーマンスに注目し続けていきたい。

 

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