SEKAI NO OWARI 「不死鳥」。
2011年発売シングル、「INORI」にて初収録され、今なおファンからの根強い人気を誇る不朽の名作です。実はセカオワが初めて作ったラブソングだったり。
「死がくれる世にも美しい魔法」。
「死」を真っ向から描き、「死」がくれる「今」という奇跡を歌い上げた、永遠に語り継がれるべき至高のラブソング。SEKAI NO OWARIのファンタジーが光を放ち続ける所以がここにあります。
ここでは、その歌詞を細かく分析していきます!
歌詞解釈
1番
人類の発明 君は最新型ロボット
僕等と違うのはただひとつそう君は不死身なんだ
夏が始まったとき僕と君は恋に落ちたんだ
不死鳥 作詞 深瀬慧
夏が始まった時、不死身のロボットと恋に落ちた。
物語の設定がここで示されます。
恋愛相手がロボットという、星新一のSF小説のような近未来的な設定です。
もしも私のこの命が限りあるものになることがいつかはできたのなら
もう一度あなたを制限時間内に見つけるわ
そうしたらそれを奇跡と呼びたいの
不死鳥 作詞 深瀬慧
もしもこの命に終わりができたなら、あなたとの出会いを「奇跡」と呼びたい。
Bメロではロボットである「君」視点へと切り替わります。
彼女が永遠の命を持つ以上、「あなた」に再び会うことはさほど難しいことではありません。想像もできませんが、彼女には無限大の時間があるからです。
時間・出会いが有限だからこそ、「奇跡」というものが存在できる。
これがこの楽曲の主題であり、この後の歌詞でも形を変えながら何度も歌われていきます。
不死鳥よ僕に永遠を与えてください
僕と君なら何にも怖くないから
天国なんて君がいないのならば
僕は君と永遠になるから
不死鳥 作詞 深瀬慧
君と僕の恋を永遠のものにして下さい。
1番のサビでは、限りある命を望む「君」とは対照的に、永遠を望む主人公の様子が描かれています。
ここでの主人公は、まだ「君」の考え方に理解を示していません。現世で永遠になれるのならそれがいい、という考え方。しかし、この思考は少しずつ変わっていくこととなります。
2番
神様の発明 誕生するすべてのものには
終わりをプログラムするというこの宇宙のルール
ロボットの神は人類だから天国なんかないのかなぁ
不死鳥 作詞 深瀬慧
誕生するものには全て終わりがある。君には死後なんてないのかな。
1番の歌詞と比較すると、
神様の発明=終わりがある
人類の発明=不死身
という対比構造が組まれていることがわかります。
君には終わりがプログラムされていない、という物語の設定が改めて明示されます。
もしもこの聖なる星が降る夜が最初から存在しなかったのなら
あの真っ白な世界を朝とは呼ばないわ
終わりの無いものなんて最初から始まりなんて無いの
不死鳥 作詞 深瀬慧
すべてに終わりがあるからこそ、始まりがある。
1番Bメロ同様、この楽曲のテーマです。
もしも「夜」が存在していなかったのならば、「朝」という概念は存在しません。それが当然の状態であり、そこに価値など存在しないからです。
同様に、終わりのない人生や恋愛、出会いには何の価値もありません。
永遠の命というものは死よりも恐ろしいものなのです。
「朝」と「夜」、「終わり」と「始まり」、「正義」と「悪」、「戦争」と「平和」。セカオワの楽曲にはこうした二元論的な考え方が数多く登場し、彼らの世界観を支える中心的な役割を担っているといえます。
不死鳥よ僕に永遠を与えてください
僕と君なら本当に怖くないから
地獄だろうと君がいないのならば
僕は君と永遠になるから
不死鳥 作詞 深瀬慧
地獄に行けるとしても、僕はここで君と永遠になりたい。
依然として永遠の命を望む主人公。しかし、その心境には変化が見られます。
「たとえ地獄だろうと、君がいないならば行かない」。
文法的に考えると、「地獄に行く」ことはプラスに、「君がいない」ことをマイナスに捉えているのです。
つまり、「永遠の命」の恐ろしさはは理解したけれど、それでも君と永遠になりたい。そう歌っているのではないでしょうか。
死がくれる世にも美しい魔法
今を大切にすることができる魔法
神様 私にも死の魔法をかけて
永遠なんていらないから終わりがくれる今を愛したいの
不死鳥 作詞 深瀬慧
死の魔法をかけてほしい。終わりがくれる今を愛したいから。
彼女の願いは、やはり「死の魔法」にかかることでした。
「あなた」を好きになって、「あなた」を愛して、「あなた」と過ごす今という時間を愛するためには「死」という終わりが必要でした。永遠なんて彼女には必要なかったのです。
「死がくれる世にも美しい魔法」。
つくづく素晴らしい歌詞だと感じさせられます…
不死鳥のように美しい君にいつか終わりが訪れますようにと
形あるものはいつかは壊れるから
僕は君の手を強く繋ぐんだ
不死鳥 作詞 深瀬慧
君にいつか死が訪れますように。終わりがあるから、僕は君を愛するんだ。
ここまで永遠を望んできた主人公も、彼女の思いを受け、ついには彼女へ終わりが訪れることを望むようになります。
「死」があるからこそ、「終わり」があるからこそ、今の君との出会いに価値がある。これほどまでに死と向き合い、死の正の側面に目を向けた楽曲が他にあったでしょうか。「不死のロボットとの恋」というファンタジーだからこそ描ける美しい世界観です。
僕らの空を
花火が飾り
夏が終わる
締めくくり方もまたどうしようもなく素晴らしい。
「夏が始まったとき僕と君は恋に落ちたんだ」
夏も、そして花火も、命同様終わりがあるからこそ美しいのです。
花火大会を想起させるような一夏の恋の儚さを歌いながら、同時に死生観まで描き切ってしまったファンタジー作品。唯一無二のラブソングです。
まとめ
終わりがなければ始まりもない。
死がなければ今に価値などない。
そんな二元論的な、SEKAI NO OWARIの中心的な世界観が詰め込まれた、この上なく美しいラブソングです。
彼らの歌詞は、いつだって「死」が隣にあります。例えそれがどんなに甘いラブソングであっても、当然のようにそこには死の影が映し出されるのです。
「不死鳥のように美しい君にいつか終わりが訪れますように」。
永遠の愛を歌うラブソングが世に溢れる中、最後に主人公が彼女に望んだものは「死」という魔法でした。終りがくれる「今」を愛したいから。だからこそ僕は君と手を繋ぐ。
「死」を真っ向から描き、「死」の与える光を歌うという美学。
さらにそれを小難しい言葉を並べるのではなく、「ロボットへの恋」というファンタジーの中で描いてしまったところがSEKAI NO OWARIらしさです。
これこそがSEKAI NO OWARIの真髄であり、セカオワの音楽が人々の心を揺さぶり続ける所以なのではないでしょうか。
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