世界の終わり「世界平和」。
「SEKAI NO OWARI」がまだ「世界の終わり」だった2010年発売の1stアルバム「EARTH」収録の1曲でありながら、圧倒的な存在感を誇る屈指の名曲。
「人間という怪物は「セカイ平和」という戦争を起こしてる」という書き出しに衝撃を受けたのは決して私だけではないでしょう。人間の愚かさ、自然と人間の対立を歌った歌詞には自然と鳥肌が立つほどの狂気が感じられます。
聴く者すべてに痛切なメッセージを刻み込む、彼らの代名詞ともいえる一曲です。
歌詞解釈
まず初めに注目したいのが、この曲で歌われる2つの「せかい」。公式の歌詞を見ると、カタカナ表記の「セカイ」と漢字表記の「世界」が登場します。
根拠は後々示しますが、
セカイ:人間のコミュニティ
世界 :自然界、地球
として、この曲では明確な対比構造が組まれていることがわかります。
ここではこの対比を踏まえ、1番から歌詞を紐解いていこうと思います!
1番
人間という怪物は「セカイ平和」という戦争を起こしてる
平和なんて化け物は本当は存在していない
普通に異常な貴方は「間違い」を主張して笑おうとする
「正解」なんて化け物は本当は存在していない
世界平和 作詞 深瀬慧
人間の歌う「平和」は戦争行為であり、そこに正しさなどない。
人間の作り出す平和は、あくまで人類が繁栄する上での「セカイ平和」。その過程でどれだけの犠牲が生じようが、あるいは自然、すなわち「世界」が破壊されようが、人間は意に介しません。
その意味で、人間にとっての「平和」は虚像であって、それは破壊を伴う「戦争」行為に他ならない、というわけです。
また、人間の唱える「正解」にはなんの妥当性もありません。
領土や宗教、倫理における「正解」「間違い」といった空想概念のもとに繰り返される、殺戮と破壊。ここに本当の「正しさ」なんて存在していないのです。
「人間という怪物」「普通に異常な貴方」といった具合に、「自然から見た人間の異常さ」を強調した物言いが、人類の愚かさと、自然と人類の溝の深さを浮き彫りにしています。
「セカイ」の中に花は入っていない
「世界」の中に人は入っていない
世界平和 作詞 深瀬慧
先述した「セカイ」と「世界」の対比の根拠。
古来より「人は万物の霊長であり、そのため人は他の動物、さらには他の全ての生物から区別される」という考えがあります。
この考えに基づいて考えれば、人間の言う「セカイ」に花など入っていませんし、同様に「世界」、すなわち自然界には人は入っていないというわけです。
この「せかい」という言葉の指す事柄のズレが、人間と自然界の対立そのものに他なりません。
THE WORLD PEACE WAR(世界平和戦争)
猟奇的な一般の市民は「世界」中で血の雨を降らし
「セカイ」中で一つになってこういうんだ 「世界平和」
猟奇的な一般の市民は「世界」中で血の雨を降らし
「セカイ」中で一つになってこういうんだ 「世界平和」
世界平和 作詞 深瀬慧
人類は「世界」を破壊していることなど忘れ去り、邪魔な人々を殺戮し、人類が一つになった時にさも満足げにこういうんだ。「世界平和」。
「世界平和」という大義名分のもとに引き起こされる「世界平和戦争」。
人間の求める「セカイ平和」は全く「世界平和」ではないのに、何を間違ったのか私たちはそれを平和だと錯覚しています。
「猟奇的な一般の市民」という表現がまた胸を突き刺してきます。「当然この曲を聴いているあなたもその一人でしょう?」と言われているようで苦しくなるのです。私たちの求める「世界平和」に正しさはあるのか。暗闇に突き落とすような冷酷さを前面に押し出す歌詞が心を抉ります。
2番
僕ら以外の生物は「世界平和」という戦争を起こしている
自由なんて化け物は本当は存在していない
普通に異常な僕らは「正解」を主張して謳おうとする
「間違い」なんて化け物は本当は存在していない
世界平和 作詞 深瀬慧
「自由」や「正解」など存在しない。
人類以外が求める「世界平和」は、表記の違いから分かるように、「セカイ平和」とは異なる本質的な「平和」です。花や虫が苦しむことのない世界。
「セカイ平和」で謳われる「自由」「正解」などというものは、実際に存在していない空想の概念なのであって、「世界平和」に必要なものではないのです。
「セカイ」の中に虫は入っていない
「世界」の中に僕は入っていないTHE WORLD PEACE WAR(世界平和戦争)
猟奇的な一般の市民は「世界」中で血の雨を降らし
「セカイ」中で一つになってこういうんだ 「世界平和」
猟奇的な一般の市民は「世界」中で血の雨を降らし
「セカイ」中で一つになってこういうんだ 「世界平和」
世界平和 作詞 深瀬慧
1番同様なので割愛します。
2回目の吐き捨てるように歌われる「世界平和」の冷酷さが、人類の心無い行動につながっているようでまた重苦しい。
貴方たちが願う平和は世界平和じゃないんです
花や虫や僕らの星は貴方たちに殺されてるんです
「私たち世界人類に平和がありますように」
世界中の子供たちに戦争のない未来を願いましょう「神様、人類を滅ぼして下さい」「神様、私たちの世界に平和を」
世界平和 作詞 深瀬慧
人類の目指す平和は世界平和ではない。そして願う。
「神様、人類を滅ぼして下さい」
「神様、私たちの世界に平和を」。
ここでついに心臓を握りつぶされる。何度聞いても鳥肌が止まりません。
「人類」の願う平和は、「世界」にとっての戦争です。
そして謳われる、唯一の「世界平和」をもたらす方法。
それは「人類の滅亡」。
つまり「戦争のない未来を願う」ことと「人類の滅亡」を願うことは真逆の事柄に見えて全くの同義。「世界平和」に人類の存在は必要ないのです。
人類の存在価値そのものを否定するような、あまりに悲痛で、過酷な結末。刃物を突き付けられたような、そんな恐怖すら覚える一曲です。
まとめ
僕らの謳う「セカイ」と、そこから取り残された「世界」。
世界の終わりの代名詞であり、「セカイ」に痛切な訴えを叩きつけた、猛然たる一曲「世界平和」。
いかに人類が叫ぶ「セカイ平和」が空虚で、残酷で、間違ったものかを歌うその歌詞は、聴くもの全てにナイフを突きつけられたような恐怖を抱かせます。
自然の偉大さと、それを忘れようとする人類の愚かさを歌うアルバム「EARTH」にあって、最も顕著に人類を揶揄する一曲です。
「神様私たちの世界に平和を」
「神様人類を滅ぼしてください」
この曲抜きにしてSEKAI NO OWARIを語ることなどできるはずがありません。
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