やせっぽち寄稿文

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【歌詞考察】RADWIMPS『世界の果て』が私たちに思い出させてくれること。

2020年3月11日。あれからもう9年が経った。

あの恐ろしい震災の記憶はどこか遠くへ消え去ろうとしているのがわかる。勿論被災された方の悲しみが今も消えることなどないことは重々承知しているが、突如降りかかった絶望が、幾つもの街を消し去った悪魔が、たくさんの未来を奪い去った大災害が、徐々に記憶から薄れつつあるのを確かに感じる。

そんな春の日に、RADWIMPSが楽曲を公開した。曲名は『世界の果て』


世界の果て RADWIMPS より

あの3月11日に思いを巡らせ、そこに『今』の空気を混ぜて一つの曲にしたいと思った、とRADWIMPSの野田洋次郎さんは楽曲に寄せてコメントしている。

ここでは『世界の果て』の歌詞に注目しながら、楽曲が持つメッセージを読み取っていきたい。拙い文章ではあるが、最後までお読みいただければ幸いである。
なおこの記事は、一部震災に関する直接的な表現を含んでいる。ご留意願いたい。

 

楽曲について

明日もしもこの世界が終わんなら
それは地獄なのかワンダーランド
誰一人も分からんなら
考える価値もないのか

楽曲は突然、『明日もしもこの世界が終わんなら』という仮定からスタートする。

もしも明日この世界が終わるなら。
絶望に満ちていて、誰も考えたくもないような仮定である。

 

 それなら僕は行くよ
君の元へ行くよ
せめて僕の腕の中には君の 顔をうずめて

襲いかかるその終わりの
君の視界を覆い
ワンダーランドまでの 短い一秒だけ「さよなら」を

 『もしもこの世界が明日終わんなら』

楽曲の主人公は、この絶望的な仮定の下で「せめて君の元へいくよ」と歌った。君に「さよなら」を告げると歌った。もしもこの世界が明日終わるなら。誰だって大切な人に別れを告げるはずだ。それは何もおかしなことではない。

 

海風にかき消されない
波に飲み込まれない
一筋のあなたの 声を命の糸に結ぶよ


君の元へいくよ 必ずや向かうよ
君の姿形 色とか匂いのすべてなくとも

心配せずいてよ この世界で君を
見つけたのと同じようにたやすく たどり着くから

 そして彼は、一筋のあなたの声を確かにこの命に結び、必ず死後の世界であなたと再会することを誓った。波にさらわれようと、決して消えることのない繋がりを”あなた”と結ぼうとしたのだ。もしも明日世界が終わるなら。せめてあなたに別れを告げたい。せめてあなたと死後の世界でも会えるという確証が欲しい。
もしも、仮に明日世界が終わるというのならば。誰だってきっとそう考える

 

もしも明日この世界が終わんなら』。

だけどこの状況は、所詮ただの一つの仮定に過ぎない
そんなことはありえない。そして考えたとて何も分からないのだから、そんなこと考える価値もないことだ。世界中の誰もがそう思っている。そう思った方が楽なのだから、私たちは当然そうやって今を生きている。

 

この楽曲が伝えようとしていることは、そんな思い込みに対する強烈な皮肉だ
そして絶対に忘れてはならない、あの日の出来事への追憶である。

 

決して忘れてはならない。

『もしもこの世界が明日終わんなら』

9年前、この”もしも”はまさにこの国で現実のものとなったのである。

なんの前触れもなく、突如として、その日当たり前だった世界は終わってしまったのだ。

『もしもこの世界が明日終わんなら』。

『世界の果て』の歌詞のように ”あなた”に別れを告げることもできず、”あなた” と命を結ぶことなど到底できるはずもなく、波に飲まれていった人間が何万と存在したのである。

明日世界が終わるなんて考えもせず、私たちと同じ当たり前の日常を送っていた人々の明日が一瞬にして奪われたのだ。

そんな信じられないような未曽有の大災害が、9年前に確かに起こったのである。

 

時が経つに連れて徐々に水底に
ゆっくりと沈んでいくかの
ように君の顔もおぼろげに
なっていってしまうのはなぜ 

 時が経つにつれ、記憶はゆっくりと海の底へと沈んでいく。
あの日目にしたあまりに悲惨なあの光景は、記憶からゆっくりと消えていく。
だけどせめてこの曲を聴いた今くらいは、思い出さなければならないのではなかろうか。

 

忘れてはならない。

「もしもこの世界が明日終わんなら」。
そのもしもはひょっとすると、本当に明日なのかもしれないのである。

期せずして、震災から9年が経った今、世界は大きな混乱の中にある。歴史的なパンデミック。ネットで飛び交う根拠のないデマ。踊らされる人々。背後に透けて見える醜い人間の思惑。

 明日、もしかしたらあなたがウイルスに感染するかもしれない。運悪く極めて重い症状を患い、命を落とすかもしれない。
あるいは明日、未曾有の大災害が発生しないとも限らない。

記事執筆時、「100日後に死ぬワニ」の死は9日後に迫っている。しかし誰も、その最期を見届けられるという保証はないのである。

 

『もしもこの世界が明日終わんなら』

今を大切に生きろ。日々の小さな幸せに目を向けろ。大切な人を優しく抱きしめろ。あの日の出来事を忘れるな。

楽曲は絶望的な”もしも”のなかで、そう私たちに訴えかけてくる。
忘れてはならないあの日の悲惨な出来事を、もう一度私たちに思い出させてくれる。

 

まとめ

RADWIMPS『世界の果て』

楽曲のアウトロは、まさか終わるはずのない小節の途中で突如として終わりを迎える。

終わりはいつ訪れるのか、それは誰にもわからないのである。

 

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