ゲスの極み乙女。『キラーボールをもう一度』。
川谷絵音さんの誕生日公開の新曲は、彼らの代表曲『キラーボール』をタイトルに入れ込んだ衝撃作でした。過去の自分を淘汰する川谷絵音。才能の爆発は止まりません。
『キラーボールをもう一度』。
彼らにとって『キラーボール』とは何なのか。そしてこのタイトルに彼らが込めた想いとは。この記事では歌詞に注目し、楽曲の魅力を紐解いていきます。
『キラーボール』とは
歌詞を読み解くにあたり、あらかじめ『キラーボール』とは何なのか、という点を考察しておきます。
2013年12月24日発売アルバム『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』収録曲、『キラーボール』。
ゲスの極み乙女。"キラーボール" (Official Music Video) SPACE SHOWER MUSIC より
6年前の楽曲でありながら、今もなお多くのファンに愛されて止まないゲスの極み乙女。不朽の名作です。『私以外私じゃないの』『ロマンスがありあまる』に並ぶ彼らの代表作といっても決して過言ではありません。
では彼らにとってこの楽曲はどんな存在なのか。
一つは、過去の栄光の象徴でしょう。
無論私は彼らの大ファンなのでゲスの極み乙女。が廃れたなどとは微塵も感じていませんが、世間一般のイメージではおそらく彼らの人気は過去のもの。本来であれば今年の紅白の舞台に立っていても何ら不思議ではない実力者ですが、現状そうなっていないのだから否定はできません。
だから彼らにとって『キラーボール』は世間に広く受け入れられた代表作であり、酷い言い方をしてしまえば過去の遺産というわけです。
そしてもう一つは、彼らの生き方そのもの。
『キラーボール』の歌詞に注目してみます。
そう何回でも言ってやるよ
君の中で踊る黒いもの
ああ、あたかも隠したつもりで
平然としてる顔が嫌で
どうでもいいテレビのニュースに
踊らされる架空の毎日
ああ、そんなクソみたいな夜は
キラーボールと一緒に回るよ(中略)
たった今わかったんだ
キラーボールが回る最中に
踊ることをやめなければ
誰も傷付かないんだって
キラーボール 作詞 MC.K(川谷絵音)
「こんなクソみたいな夜は キラーボールと一緒に回るよ」
つまり彼らにとって、クソみたいな架空の毎日から逃げる方法こそが『キラーボール』と踊り続けることだったのだと思います。一般化してみれば、『キラーボール』は「(過去の)処世術」であると言い換えることができるでしょう。
この二点を踏まえ、『キラーボールをもう一度』の歌詞を読み取っていきます。
歌詞解釈
ここではあえて歌詞の内容を一般化することなく、ゲスの極み乙女。自身のことを歌った楽曲として解釈を進めていきます。当然捉え方を変えれば聴き手自身の経験と結びつけることも可能だと思いますが、ここでは言及いたしません。
キラーボールをもう一度
もう懐かしくならないように
湯掻いた魂でもう一度だけ
どこまでも行けるような歌を
キラーボールをもう一度 作詞 川谷絵音
言うまでもないことですが、ゲスの極み乙女。を取り巻く環境はこの数年間で激変しました。楽曲は大衆に受け入れてもらえなくなったし、『キラーボール』の頃の生き方では日常から逃れられなくなってしまったはず。
「湯掻いた魂でもう一度だけ どこまでも行けるような歌を」。
『キラーボールをもう一度』は再びゲスの極み乙女。が立ち上がり、もう一度あの頃の輝きを、どこまでも届く楽曲を、クソみたいな夜の踊り方を取り戻そうと歌った楽曲に他ならないのではないでしょうか。
1番
償いをしようと喉を取った
博識な虚像が喜んだ
すったもんだリーダー
知らんぷりなローラ
紐解いてみたら
いきがってただけ
キラーボールをもう一度 作詞 川谷絵音
騒動の償いをしようと、活動を控えたゲスの極み乙女。するといかにも、全てをわかっているかのような誰かが自粛を喜んでいるようにも見えました。
しかし「博識な虚像」とあるように、そんなもの実際は存在していませんでした。所詮はただの匿名アカウント。散々ごたついていた誰かも、知らないふりを決め込んでいた誰かも、ただネット上でそういきがっていただけ。ただ彼らを嘲笑っていたかっただけ。
本当にあんな騒動を喜んでいた人間なんて実在していなかったのです。
遠回りして息切れしそうなミュージック
早まりそうで早まらない人生
ふとした瞬間スローでダイジェストになった
錆びついて
キラーボールをもう一度 作詞 川谷絵音
真っ直ぐ聴き手の心には届かなくなり、息切れしそうなミュージック。
散々な騒動のせいで早まりそうで、実際早まることなんてない人生。
機能不全の日常はもうすっかり錆付いてしまって、ふとした時にダイジェスト映像のように中身の欠けたものになってしまって。
博識な虚像に惑わされ、音楽も人生も狂わされ、もう『キラーボール』とは何もかもが違う人生。
だからこそ、『キラーボールをもう一度』。
こんなところで彼らの才能は終わりやしません。
2番
安い女
だから
たわむことなかれと
優しいリリック
身近なロック
全て狙い目
全て撃たれた
キラーボールをもう一度 作詞 川谷絵音
”安い女だからとくじけることなかれ” なんて優しい歌詞も、世間に受け入れられやすい身近なロックも。狙っていた音楽は他のアーティストにすべて出し尽くされ、世の中の音楽市場は飽和しているようにも思えます。
新しい何かを追い求めなければ、生き抜けない世界がそこにはあります。
こんなんじゃダメって
2000時間前から思ってた
自覚を持って傷付いてみないと
踊れないぜ
昔の様な無防備じゃ軽過ぎて
キラーボールをもう一度 作詞 川谷絵音
こんなんじゃもう踊れやしない。世間の目も変わり、『キラーボール』の頃の様な無防備で隙だらけな生き方では軽率すぎる。
「自覚を持って傷付いてみないと 踊れないぜ」
もっと自覚をもって、実際に社会で傷ついてみなければ、本当の意味で踊ることなどできないんだ。
誰よりも逆風にさらされてきた彼らが歌うからこそ、そのメッセージには圧倒的な説得力がみなぎっています。
キラーボールでもう一度
騒がしい日々と手を取り合って
暮らした音には唯一の感謝と
踊り方変える許しを
愛愛愛愛愛されながら
ランランランと踊りましょう
愛愛愛愛愛されたなら
間違えてはないってことだから
キラーボールをもう一度 作詞 川谷絵音
もう『キラーボール』の頃のようには踊れやしない。
だけど、それでも。彼らは再び踊り始めます。
昔よりずっと騒がしい日々とは手を取り合って、そんな日々の中でも鳴り続けた音楽には感謝を込めて。そして昔とは違う踊り方を選ぶことに許しを請う。
「愛愛愛愛愛されながら」からは『キラーボール』の歌詞のパロディ。
ランランララン言葉通りさ
ランランラランいつものように
ランランララン踊りませんか?
ランランラランランランララン(中略)
愛愛愛愛愛されながら
だんだんだんだん嫌いになって
愛愛愛愛愛されながら
どんどんどんどん嫌いになった
キラーボール 作詞 MC.K(川谷絵音)
「愛愛愛愛愛されながら ランランランと踊りましょう」
愛されながら、ランランラランとあの頃のように。
あの頃と同じ美しいピアノの音色、小気味良いベースのリズム。そしてさらに進化した圧倒的なサウンド。あの頃とは踊り方は違っても。こんなクソみたいな夜はいつだって。
キラーボールは再び回り始めます。
enon kawatani Twitterより
来年4月にはNew Album『ストリーミング、CD、レコード』発売が決定し、全国ワンマンツアー『ゲスの極み乙女。をもう一度』の開催も発表したゲスの極み乙女。
『キラーボールをもう一度』。今後の展開が非常に楽しみです…!
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