アルバム「濡れゆく私小説」収録、indigo la End「心の実」。
読み方は「このみ」。他のラブソングとは一線を画す、斬新な恋の歌だ。
indigo la End「心の実」 indigo la End Official YouTube Channel より
この曲を簡潔に要約してしまえば、「昔の恋を思い出してしまうから、もう恋なんかできない」といったところである。なんだか恋することを諦めてしまったような、語弊を恐れずに言ってしまえば indigo la Endらしからぬ歌詞だ。
しかし、これが不思議なことにとことん共感できてしまう。
いつものラブソングではないにも関わらず、「恋なんかできやしないよな」という聴き手の感情が自然と引きずり出されてしまうのである。
結論から言えばすべて川谷絵音の計算通りで、私たちは彼の掌の上で踊らされているだけなのだが、平然とそんな歌を作り上げる彼の才能にはただただ感嘆するばかりだ。
この記事では、そんな「心の実」の歌詞の意味を徹底的に考察していく。
歌詞解釈
この曲では「君」と「あなた」という人物が明確に区別されて登場する。
後の歌詞から察するに、「君」が今付き合っている彼女で「あなた」はもっと前に付き合っていた女性だ。
1番
涙少し拭いて
あなた下を向いた
記憶の影法師
君の前であなた浮かぶ
心の実 作詞 川谷絵音
涙を拭いて下を向いた「あなた」の記憶が回想される。それも付き合っている「君」の前で、である。この時点で普通のラブソングではない。
また「記憶の影法師」とあり、涙を流したあなたの記憶の裏に輝かしい恋があったこともそれとなく感じ取れる。
心の実はあなたで
君は好みなんだ
ズルい恋のまんま
引きずって馳せる何処に
心の実 作詞 川谷絵音
ここでタイトルの「心の実」の意味が明らかになる。
「実」は「中身・内容」といった意味があり、「心の実」は心の中のもっと核心的な部分を指しているものと思われる。
つまり、心の中心にいるのは「あなた」で「君」はただの趣向としての「好み」なのである。主人公の心情を想起させる、ちょっとした言葉遊びだ。
そして主人公は心から君を愛していない「ズルい恋」のまま、君を引きずって恋愛関係を続けている。
複雑な境遇だが、なんとなく共感できてしまうのは私だけではないだろう。
誰の目も誤魔化さず
もういっそ
恋をしない 募らせない
まあいっか
道すがらラブソング
口ずさむだけで
心の実 作詞 川谷絵音
そんな中、主人公の口から飛び出したのは諦めの言葉だ。
「君」に感情をごまかしたりするくらいならもういっそ、恋なんかしなくてもまあいいか。ラブソングを口ずさむだけでもういいか。
このあたりが、他のindigoの曲や巷のラブソングとは大きく異なっている。
しかしながら、なんだか聴き心地の良い歌詞に思えてならない。
2番
汚れたガスコンロ
拭く後ろ姿
たまに重ねては
後ろめたさ青白い
心の実 作詞 川谷絵音
目の前でコンロを拭いている「君」に「あなた」の姿を重ねてしまい、「後ろめたさ」という感情が疲弊するほどに罪悪感に苛まれている。
主人公はどうしても今の恋を楽しめないようである。
寂しい頃合いを
測ったかのように
同じ顔をすんの
やめてくれよ
心の実 作詞 川谷絵音
君を思い出して寂しくなった頃にちょうど「君」が「あなた」と同じ表情をみせる。
そしてきっとさらに「あなた」が愛しくなるのだ。
「やめてくれよ」とあるように、後ろめたさを感じている主人公は「あなた」を忘れようと努力している姿は伺える。しかしできないものはできないのである。
ところで、あなたと「同じ顔」をした君は一体どんな表情だったのか。
その問いの答えに関わってくるのが次の歌詞だ。
夜に明かす嫉妬顔
そうやって
影を落とす心の実
もう一回
君の目を見てみたら
涙堪えてた
心の実 作詞 川谷絵音
もう一度君の目を見ると、涙をこらえていた。つまりその前に見せた「嫉妬顔」はきっとなんとも悲しげな表情だったはずだ。昔「あなた」が見せた顔と同じ悲しそうな顔。
主人公はかつて恋愛感情が途切れ「あなた」を悲しませたのとまったく同じように、今まさに「君」を傷つけ失ってしまおうとしているのである。
フォックストロット踊るのは
あなたの方が似合ってた
今見る全ては君なのに
遡ってしまう罪の音聞こえても
どうやって
忘れるかわからない
もう一歩
踏みしめるはずの傷
痛いかもわからない
心の実 作詞 川谷絵音
どうしても「あなた」との記憶ばかり呼び起こしてしまう。
罪悪感に苛まれても、「あなた」の忘れ方なんかわかりはしないのだ。もうどうしようもないのである。
「踏みしめるはずの傷」というのはおそらく、まもなく訪れようとしている「君」との別れだろう。もしかすると次に誰かと恋をした時、「君」が愛しく思えてまた胸が痛むのかもしれない。
だけど「あなた」のことで頭がいっぱいになっている今は、その別れが果たして痛いのかもわからないのだ。
恋はつがい 恋はつがい
心の実次第 好み次第
要は慈愛 深い慈愛
なかなか出来ない
心の実 作詞 川谷絵音
恋はつがい、二人の間で起こるはずのもので、出来はその時の「心の実」と「好み」次第だ。要は恋は自愛、深い深い愛情。なかなか出来るものではない。
”恋をできない”というこの感覚。それ自体を歌った曲はそう多くないはずだが、これはこれで不思議と共感できてしまう。
世の中のラブソングは、大抵愛する人への抑えられない思いが歌になっている。
しかしながら、きっとこの他の誰かへの「心の実」が邪魔をして、一つの恋に熱中しきれないことは誰もが経験することなのではないだろうか。
これはこれで、聴く者すべての胸に突き刺さるラブソングなのではなかろうか。
そんなことを考えていると、曲の最後はこんなセリフで締めくくられる。
たまにはこんな歌詞も良いでしょ
心の実 作詞 川谷絵音
まとめ
indigo la End 「心の実」。
ラブソングに新しい風を吹かせるような斬新な楽曲だ。
目の前の君と過ごしているのに、過去のあなたの思い出が影を落とす。
目の前にある恋を楽しめなくなる。
そして目の前の君を傷つける。
もう恋なんてできない。
恋って難しい。
曲のどこをとっても、他の恋愛ソングとは一線を画している。
昔のあなたとの恋を思い出したからといって、再びあなたに恋をするわけでもない。君をもう一度抱きしめるわけでもない。
これは川谷絵音のちょっとした提案なのだ、と思う。
今の世の中はラブソングに溢れている。
いつだって、歌に共感できるような恋をしていなきゃいけないような気にもなる。
だけど ”恋をしない歌” だって、あってもいいんじゃないの?
実際恋ってそんな簡単なもんじゃないでしょ?
と彼は世間に投げかけた。
この曲はなんとも聴き心地が良い。
巷のラブソングで歌われる恋も一つの人類共通の感覚だが、この曲で歌われる想いだってきっと誰しもが抱く感情だ。誰だって一人を好きになりきれないことはある。
そしてそんな聴き手を見透かしたように彼はこう歌う。
「たまにはこんな歌詞もいいでしょ」
と。すべては彼の掌の上なのだ。
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