野田洋次郎プロデュース、上白石萌音「一縷」。
映画「楽園」主題歌で、深い悲しみに暮れる誰かを救う光になってくれるような、そんな優しい楽曲です。決して希望にあふれた曲ではないけれど、どんな暗闇にも届くような強い強い光。
現在YouTubeではMVも公開中です。
UNIVERSAL MUSIC JAPANより
ここではその歌詞に注目して、楽曲を紐解いていければと思います。
歌詞解釈
「一縷」の意味は、「ごくわずかであること。ひとすじ」。
この曲には、闇をすべて拭い去るような大それた希望の言葉はどこににもありません。ここにあるのは抗うことのできない運命と、そこでもがく人間の姿と、ほんの一筋の細い細い光だけです。
1番
運命はどこからともなく
やってきてこの頬かすめる
触れられたら最後
抗うことさえできないと知りながら
一縷 作詞 野田洋次郎
運命はどこからともなく現れ、抗うことなんてできない。
この曲の核心にあるのは、覆すことなどできない残酷な運命。決して「運命なんか変えていける」といった明るい詩ではない、ということがこの数行だけでも感じられます。
だけど、「抗うことさえできないと知りながら」。現実を痛いほど見つめながらも、まだ詩のどこかに光が宿っているのです。
傷だらけで川を上ってく
あの魚たちのように
私たちに残されたもがき方など
いくつもなくて
一縷 作詞 野田洋次郎
これまた残酷な現実です。
私たちに残された ”もがき方” などいくつも残っていない。まして、この世界で輝ける術などもうあるはずもない。
傷だらけで川を上っていく魚の比喩がまた妙にリアルで、映像がすぐに頭を占拠してきます。運命の前では私たちは、あの魚と同じように実に無力な存在なのです。
夢だけじゃ生きてゆけないからと
かき集めた現実も
今じゃもう錆びつき私の中
硬く鈍く沈んだまま
一縷 作詞 野田洋次郎
夢だけ見ていては生きていけないからと、直視した悲惨な現実。当時はもっと現実味がなく、宙に浮いたような存在だったのでしょうが、今ではどうしようもない運命として心の奥底にこびり付いています。
今更救いのないような運命。
どこまでもこの曲は希望のない現実を歌っています。悲しみのまっ最中で、希望も抱けずもがき苦しむ人々に寄り添っているのです。
でもね せめて
これくらいは持っていても
ねぇいいでしょう?
大それた希望なんかじゃなく
誰も気づかないほどの 小さな光
一縷 作詞 野田洋次郎
だけど、せめてこれくらいの光なら持っていてもいいでしょう?
運命には抗えやしないし、現実は残酷だけれど、ほんの少しだけ光を見たっていいでしょ?
ここで歌われるのは、ほんのわずかな希望です。それは、現実を覆せるような非現実的なものではありません。希望を持つことさえ許されないほどの絶望の中にいる人が、人知れず、ほんの少しだけ救われるような、小さな小さな光なのです。
「ほんの少しだけ希望を持とう」というような導く言い方ではないんですよね。
希望の見えない人にも受け入れてもらえるに、人間味をもって懇願するように「持ってもいいでしょう?」と歌われているのが洋次郎さんらしいというか、優しい歌詞だなと感じます…
2番
悲しみは 何気ない顔で
こちらを見るだけ 何も言わず
鏡のように 私の心が傾く方角を 知りたげに
一縷 作詞 野田洋次郎
悲しみはただこちらを見ているだけ。
一見すると残酷な歌詞ですが、一番の歌詞と比較するとずっと前向きな歌詞のように私は思います。
擬人法で悲しみをあたかも子供のように扱っていて、好奇心でこちらを見つめ、様子をうかがっているような。そうであるならば、悲しみは冷酷で憎ましいものではなく、ちょっと可愛らしくて親しみが持てるような、そんな感じがしてくるのです。
ちょっとした言い方の違いですが、確かにほんのすこしだけ光が見えるような気がしてきます。
涙も 言葉も 笑いも 嗚咽も 出ないような心
人はいまだ 名前もつけられずに
泳がし続ける
一縷 作詞 野田洋次郎
名前もつけられないような、どっちつかずの感情。だけどそれは、絶望ではありません。
どれだけ悲しみの中にいようと、どれだけもがき苦しんでいようと、絶望と希望、どちらにも転びうるような名もなき感情を人は泳がせ続けているのです。心のすべてが悲しみに支配されることなどありません。マイナスにもプラスにも位置づけできず、名前も付けられないでいる感情が今もなお泳ぎ続けているのです。
だんだんと前向きな歌詞になってきました。
仮想的なものかもしれない、名もなき感情を歌にしてしまうあたり洋次郎さんの感性は恐ろしいものがあります。人間は名前を付けていないものを他のものと区別して認識できないのですから、新たな感情を表現するという行為は軌を逸しているというか、常人離れしているというか。もうすごいとしか言いようがありません。
「夢だけじゃ生きてゆけないから」と
名も知らぬ誰かの言葉に
どれだけ心を浸そうとも
私の眼をじっと 見続ける姿
一縷 作詞 野田洋次郎
夢だけじゃ生きていけない。現実を見ろ。
そんな光のない言葉にどれだけ心を浸そうと、私の目をただじっと見続ける姿がそこにはあります。それは自分自身なのかもしれないし、あるいは周囲の誰かなのかもしれない。どちらにせよ、それは希望に他なりません。どれだけ心を浸そうとも、絶望に打たれることもなく、なにか意志を持った力強い眼差しがそこにはあるのです。
加えて言えば、「夢だけじゃ生きていけないから」という言葉に心を侵食されたわけでも、支配されたわけでもありません。ただ浸していただけ。浸したのは自分だし、乾けばなんてことはないのです。そこには絶望ではない光が確かにあります。
私の夢がどっかで 迷子になっても
「こっちだよ」ってわかる くらいの光になるよ
土の果てた荒野で 人は何を見るだろう
誰よりも「ここだよ」と一番輝く星を
きっと見上げて 次の運命を
その手で 手繰るだろう
一縷 作詞 野田洋次郎
繰り返しになりますが、この曲で歌われているのは闇を払えるような底なしに明るい希望ではありません。迷子になっても「こっちだよ」ってわかる、その程度の細く小さい光です。だけど、だからこそ救える心がきっとあるはずです。大それた希望は受け入れられない心でも、この詩なら受け入れられるかもしれません。
緑もない、土も果てた荒野で人が見上げるのは、夜空で「ここだよ」と輝いている小さな小さな光です。そんな星を見上げて、自らの意志で、人はきっと次の運命を何とか手繰り寄せるのでしょう。そうやってなんとか絶望を打ち払うことができるのです。
そんな夜空の星のように、「こっちだよ」と輝く小さな小さな光。それこそが、この「一縷」という曲そのものなのではないでしょうか。
まとめ
悲しみ、苦しんでいる誰かを救うかもしれない一筋の光、上白石萌音「一縷」。
本当にもがき苦しんでいる人に、どれだけ希望に溢れた曲を届けてもそれは響かないのかもしれません。
抗えない運命。自然災害。救いのない病。犯した罪。大切な人との別れ。
どこにも光が見えないような暗闇の中で、誰にも理解されず悲しみに暮れている人だってきっといます。
この曲は本当に最後の一筋の光です。「運命に抗ってみせる」なんて明るい言葉はどこにもありません。今にも消えてしまいそうな、細い細い光。
だけどこの曲だからこそ、救われる心がきっとあるはずです。一筋の光であっても、前を向く勇気を確かに与えてくれます。大それた希望なんて到底持つことができないような、深い深い谷のどん底にいる人にだって、きっとこの光は届くはずです。
この曲は悲しみに暮れる誰かにとっての、一縷の望みなのです。
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