米津玄師「でしょましょ」。
どこか気だるげに令和の時代の歩み方を歌った、シングル「馬と鹿」カップリング曲です。退廃的なこの時代の風潮を嘆くような歌詞がなんとも物憂げ。
曲調・歌い方もなんとも陰気な感じで、やるせない雰囲気を感じますね。
この記事ではその歌詞について、じっくりと考察していきたいと思います。
歌詞解釈
如何でしょ あたしのダンスダンスダンス
ねえどうでしょ? それなりでしょ?
一人きり 見よう見まねで憶えたよ 凄いでしょ?
でしょましょ 作詞 米津玄師
あたしなりのダンス、それなりでしょ?
ここでいう”ダンス” はいわゆる「踊り」を意味していると同時に、「生き方」だとか「処世術」だとかいう、もっと大きなものを暗示しているような感じがします。
一人きり、見よう見まねで培ってきたあたしの 生き方、それなりでしょ?といった具合に。
異常な世界で凡に生きるのがとても難しい
令月にして風和らぎ まあまあ踊りましょ
るるらったったったった
でしょましょ 作詞 米津玄師
異常で平凡には生きられない令和の時代。まあまあ踊りましょ。
”令和”の出典は万葉集の「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」から。
「令月にして風和らぎ」という歌詞も恐らくこの文を基にしており、紛れもなく”令和”という時代を表しております。
もっともこれもちょっと皮肉めいた表現で、現在の世界を「異常な世界」と謳っているので「令月にして風和らぎ」なんて平穏なもんじゃないんですよね。
事件とか事故とかネットの騒動とか、何かと騒がしい今日この頃。
そんなおかしな時代でも、まあまあ自分なりのダンスを踊っていましょうや、と呑気な感じで歌われています。
獣道 ボロ車でゴーゴーゴー ねえどうしよ? ここどこでしょ?
ハンドルを手放してもういっちょ アクセルを踏み込もう
でしょましょ 作詞 米津玄師
迷い込んだ獣道。いい加減な具合で突き進みましょ。
獣道というのは野生の動物が通ってできた山中の道のことで、道と呼べるほど整備されたものではありません。草木は生い茂っているし、舗装なんてされていない、無秩序な山道。不穏でおかしな令和の世の中の比喩でしょうね。
そんな山道に足を踏み入れてしまったわけだけれども、まあハンドルなんか握らず進んでしまおうや、と、ここでも悠長で気だるげ。
例え世間が廃れていて、自分の居場所が分からなくなろうとも、自分の生き方を曲げずに進んじゃえばそれでいいんじゃない?といった感じ。
非常にやるせないことばかりで全部嫌になっちゃうな
今日はいい日だ死んじゃう前に なあなあで行きましょ
るるらったった
でしょましょ 作詞 米津玄師
死んじゃう前に、てきとうに妥協して行きましょ。るるらったった。
どこまでもいい加減で、諦念に溢れた歌詞ですね。
やるせない世の中だけれども、憂鬱なまま死んでしまうのは惨めったらしいし、今日はいい日だったことだから、いい加減に折り合いつけてやっていきましょうや、と。
一貫してネガティブな歌詞ではあるものの、やるせない時代に飲まれることなく自分なりに進みましょ、と一応前向き。
米津玄師さんなりのこの時代との向き合い方が歌われているかのような、そんな印象を受けますね。
まとめ
この異常な世界で死んじゃう前に、まあまあ踊りましょ。なんとも物憂げな楽曲です。
馬と鹿発売に合わせてyoutubeで公開されたラジオ動画で、米津玄師さんはこの曲に関連して「正義心だとか義憤っていうものの皮を被って自らの後ろ暗い欲求を正当化しようとする大きな流れを見た時に、俺はこれに加担したくないと思った」と語っています。
相次ぐ交通事故に、テロ紛いの放火事件。それに対してネット上では、正義の名の下に卑劣な罵詈雑言が飛び交う、異常な令和の時代。
そんな流れとは距離を置いて、まあまあ自分なりのダンスを踊りましょうや。
どこまでも気怠げで退廃的な、いかにも米津さんらしいデカダンスです。
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